岩手真宗会館は、もと「盛岡説教場」と称し、1890(明治23)年、盛岡市六日町(現肴町)に始まりました。それ以来、説教場は、お寺の枠を超えて、多くの市民の皆さまに仏さまのこころを伝えてきました。
 建物の老朽化などがあったため、土地を盛岡市に買っていただいて現在地に会館棟を建てたのは1986年春のことです。「岩手真宗会館」としての再出発でした。それから30年経ちます。
 このたび、その歴史を顕彰し、次の世代への橋渡しをする意味をこめて、記念事業を展開することにいたしました。
 

 「盛岡説教場」の設立に尽力したのは、池野藤兵衛や小野慶蔵など、近代岩手の経済界を担った人々でした。
 設立された明治23年は、東北本線が開通して盛岡駅が開業した年。前年に公布された明治憲法によって盛岡市が誕生し、「教育勅語」が発布され、近代日本の基礎が定められた時。日本は「富国強兵」を国是として、日清・日露戦争へ突き進もうという混沌の中で、盛岡説教場は産声を上げたのでした。
 
 それから126年。
 時代の様相は違うものの、今、日本も世界も「21世紀の混沌」の中に投げ込まれ、それを反映して、私たちの日常に「〈いのち〉の危機」が立ち現れてきています。
 今、私たちはどこへ向かおうとしているのか。生きる〈指標〉となるものは何か。その〈指標=法〉を求める、ただ〝ひたすら〟なる歩みを重ねる日々が始まっています。
 この現実の中で、新生・真宗会館は30周年を迎えました。
 
 真宗会館はこれからも、「自らを灯とし、法を灯とする」というブッダの遺訓に随い、共に尋ね、語り合い、確かめあっていく〝ひろば〟となることを〝こころ〟としてまいります。

日程


第1日目 会場:岩手真宗会館

記念法要

13:00〜13:30

功労者表彰

13:40〜14:20

記念講演

14:30〜16:00


内丸教会・牧師 中原 眞澄 さん

  講題:今、〈宗教〉を生きるとは?

「宗教」者が問われていること


 ここで「宗教」と括弧を付けたのは、なにか難しい定義を試みようというわけではありません。ここでは(宗教・宗派を問わず)自分を超えた何ものかによって自分を相対化することが自分らしく生きていくには必要だと衷心から感じながら生きている人を「宗教」者と呼んでみました(こういう人は今の時代,時代錯誤の極みのように思われているのかも知れませんが)。

 今の世界では(と言って間違いないと思うのですが)、人が自分や自分たちの可能性や欲望などに制限を設けることは、経済や科学の発展・成長にとって不都合なので、あまり宜しくない…という考え方が多数派のようです。ですから、能力や機会に恵まれた人たちが自分たちの目的達成に貪欲であることも(目的にとって合理的であるならば)許される社会になりました。
 その結果、世界はどうなってきたでしょう。富の増大や科学の進歩に比例して、人の尊厳は前よりも大事にされ、いのちは大切に育まれるようになったでしょうか。皆さんはどう思われますか?

 先に述べた意味の「宗教」者にとって、時代をどう見るかは、「見る」に止まらず、どう「判断」し、どう「行動」するか…に当然つながってきます。その際、私たちにとって最も大切なことは何でしょうか?
 
 「無・宗教」者が多数という、世界でも珍しい日本に住む「宗教」者として、時代が私たちに問うていることをご一緒に考え、思いと願いと力を共に分かち合う時が持てたら真に幸いに存じます。よろしくお願いいたします。


第2日目 会場:アイーナ

音楽法要

10:00〜11:00

記念講演

11:00〜12:30

みちのく讃歌フェスタ

13:30〜16:00


 
 

 仏教讃歌とは、明治以後の学校教育に採り入れられた欧米の歌唱に倣って、仏教の心を歌にしたもので、著名な音楽家が、多くの讃歌を作っています。
 真宗会館では、盛岡説教場開設100周年記念法要(1990年9月)で初めて「音楽法要」を行いました。その後、2003年10月の報恩講に音楽法要を採り入れ、合唱団「コール・ヴューハ」の誕生となりました。
 今回の音楽法要は、〈奥羽教区仏教讃歌合唱団「無憂華」〉や〈妙圓寺ローズコーラス〉の慶讃出演による大合唱団によって勤められます。

 

歌舞伎役者 親鸞を語る!

 
 

親鸞聖人に導かれて          歌舞伎役者 嵐 圭史
 
 試練と言うにはあまりに幸せなことでしたが、若き日の親鸞聖人を演じた時のことを思い出します。19歳で前進座に入って、11年目にして初めての主役でしたから、恐れ戦(おのの)きました。
 忘れもしません、静岡県島田での公演中のことでした。舞台を終えて楽屋に戻り、壁に張られた巻紙の緊急配役発表を見て仰天しました。当時劇団では、吉川英治先生原作『親鸞』の東京公演を好評のうちに終えて全国巡演の準備に入っていたのですが、親鸞聖人役は、劇団の創立者で名優・中村翫右衛門さんでした。が、その頃には膝が弱られ年齢的にも無理になられたということで、若き日の親鸞聖人の部分のみ―六角堂より吉水での法然上人との出会い、そして越後に流されるまで―の代役の発表でした。 そこに自分の名前を見つけたときの驚きといったら、たとえようもありません。もちろん大抜擢で降って湧いたようなできごとでした。
 その日は興奮が冷めやらず、 明け方まで島田の町をほっつき歩いたのを今でも覚えています。大先輩の代役、しかも歴史上の大偉人。自分にやれるのだろうか、という不安と大きな役をいただいた喜びが重なって…。 しかしこれは私の、役者への道を明確に導いてくれた最初の作品となったのです。
 いざ稽古が始まってみるとやはり大変で、どう演じたらいいのか、親鸞様のお姿がなかなか分からなかった。本来無学で、聖人についても何も知識がないわけですから…。まあ、絵に描いたような付け焼き刃でしたが、とにもかくにも、いろいろと資料を手に取ってのにわか勉強。

 『歎異抄』にもこの時初めて触れました。10章までの前半は分かりやすい。名文ですし、わけても「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」には痺(しび)れました。若い私の感性にびんびんと響いてきたんです。
 実は先般、親鸞聖人七五〇回大遠忌を記念して、『歎異抄』の朗読をしました (CD・新潮社)。若い時には難しく感じられた後半、唯円の肉声の部分、あれもやはり凄い。この年になってやっと理解できるようになりました。これも親鶯様のご縁かなと思っています。
 結局あのときは、親鸞聖人に導かれたからこそ演じられた。愛と性に悩み苦しむ人問らしいお姿を演じるという点では、「若ければ若いなり、青ければ青いなりに、飾らず、在るがままの己(おのれ)をさらけ出せばそれでいいんだよ」という親鶯様のお声を、稽古の中でフッと聞いたような気がしました。おそらく、自己を厳しく凝視する聖人のお言葉やお姿、その行動の端々からの啓示だったのでしょう。それで私は随分気が楽になった。救われたんですよ。遠い昔の話です。


 その後、時を経て日蓮上人 (津上忠作『日蓮』)、蓮如さん (五木寛之作 『蓮如』)、鑑真和上(井上靖原作『天平の甍』) と、随分高僧のお役を演じさせていただきました。このたび、聖人の大遠忌を記念しての 『法然と親鶯』で、再び親鸞聖人のお役をいただき、まことに感無量です。
 差別なき人問社会のありよう、世の〝安穏〟を求めて念仏の種をまかんと布教に徹して生涯を捧げられる聖人のお姿は、混沌とした現代社会ヘのメッセージとして、大きな威力を発揮すると確信しつつ、私どもの劇団では全座をあげて、このお芝居の成功に向けて努力を重ねています。
若いときの私は一劇団員として観客の普及活動に走り回りました。役者といえどもそうした活動に携わるがうちの劇団の特徴で、創造活動と共に車の両輪のようなものです。必要とあれば、ご寺院にうかがったりして普及活動の先頭に立っているんですよ。だって、今回の『法然と親鸞』 は本当に良いお芝居なんですから、多くの方々に観ていただきたいと思えば当然の努力だと思っています。
 今も多くの劇団の仲問が全国を飛び回っています。私たちの、そして舞台での親鸞聖人のお心を伝えるために。(二〇〇八年一月)

 2011年6月に開催した仏教讃歌の公演を第1回として始まった「みちのく讃歌フェスタ」は、2014年9月釜石市(第3回)、2015年10月由利本荘市(第4回)と数を重ねて参りましたが、今回、真宗会館開設30周年を記念して5回目の「讃歌(宗教音楽)フェスタ」を開催いたします。
 阿難知也作詞・清水脩作曲の交声曲「樹下燦々」の合同演奏は圧巻です。
 


第3日目 会場:岩手真宗会館

講演

10:10〜10:40

パネルディスカッション

10:45〜12:00


「なのりの杜・里」副施設長 小原勇哲さん

講題:〈いのち〉の現場から
自と他から成り立つ家庭や会社、地域や国など、集団になると必ず問題が存在し、そ の問題を解決しようと力が動く。解決へ向く力も大切だが、本当に「問題」なのは問
題を捉えている私たちの視点ではないか?
 

テーマ:平等な社会と云うけれど―格差・貧困・孤独を考える―


基調講演を受けて、三人のパネリストによる意見発表と参加者の交流を予定しています。
 テーマのサブタイトル「格差・貧困・孤独」は私たちの今日的課題です。
 みんなで集まってみんなで考えよう。


アクセス

 

 岩手真宗会館

 

2日目アイーナ会場